第八回『保建大記』を読む会のお知らせ

『保建大記』は、崎門の栗山潜鋒(一六七一~一七〇六)が元禄二年(一六八九年)に著した書であり、『打聞』は、同じく崎門の谷秦山が『保建大記』を注釈した講義の筆録です。崎門学では、この『保建大記』を北畠親房の『神皇正統記』と並ぶ必読文献に位置づけております。そこでこの度弊会では本書(『保建大記』)の読書会を開催致します。詳細は次の通りです。

○日時 平成二十九年八月二十八日(月曜日)午後六時半開始
○場所 RAKUNA新橋Ⅱ B号室(東京都港区新橋1丁目17ー1 YUKEN新橋ビル3階B号室)
○連絡先 〇九〇(一八四七)一六二七
○使用するテキスト 『保建大記打聞編注』(杉崎仁編注、平成二一年、勉誠出版)

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第七回『保建大記』勉強会開催報告

   平成二十九年八月六日、浦安で崎門研第六回保建大記の勉強会を開催した。当日は折本代表をはじめ有志四人が参集した。前回に引き続き栗山潜鋒「保建大記」を理解するため、谷秦山の「保建大記打聞」(テキストは杉崎仁編注『保建大記打聞編注』を使用)を読み進めた。今回は、同書六十五ページから七十七ページまで輪読した。
今回の主な内容は、以下の通り。
シナが王朝ごとに国璽が違っていたのはわが国の神器が皇祖から伝わっているのと全く異なる。故に神器を持っている君主が正統なのは疑いない。保元の乱でいえば後白河天皇方が正統である。平清盛は母が重仁親王の乳母でもあったことから、上皇方か天皇方かどちらに付くのか微妙であるとみられていたが、鳥羽法皇の違勅と称した美福門院の招きに応じ、天皇方として立った。これは清盛の勲功であって、後の振る舞いが良くないからと言ってこれをほめることをためらうべきではない。これは源為義が、自分は老いているし悪い夢も見たからと固辞しようとしたものの、ついに上皇方に説得されたのと好対照である。崇徳上皇も重祚の夢を見ておられたようだが、神武天皇が八咫烏を夢に見て得られたのとは異なる結果となった。夢はみだりに信じてはならないが、夢の霊験が全くないとも言い切れない。

なお、今回も終了後懇親会を行った。次回は八月二十八日新橋で開催の予定。
(記:事務局 小野)

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第七回『保建大記』を読む会のお知らせ

『保建大記』は、崎門の栗山潜鋒(一六七一~一七〇六)が元禄二年(一六八九年)に著した書であり、『打聞』は、同じく崎門の谷秦山が『保建大記』を注釈した講義の筆録です。崎門学では、この『保建大記』を北畠親房の『神皇正統記』と並ぶ必読文献に位置づけております。そこでこの度弊会では本書(『保建大記』)の読書会を開催致します。詳細は次の通りです。

○日時 平成二十九年八月六日(日曜日)午後二時開始
○場所 弊会事務所(〒二七九の〇〇〇一千葉県浦安市当代島一の三の二九アイエムビル五階)
○連絡先 〇九〇(一八四七)一六二七
○使用するテキスト 『保建大記打聞編注』(杉崎仁編注、平成二一年、勉誠出版)

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『崎門学報』第十号を発行

崎門学報第十号『崎門学報』第十号を発行致しましたのでご高覧下さい。

 

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第六回『保建大記』を読む会開催報告

平成二十九年七月二日、浦安で崎門研第六回保建大記の勉強会を開催した。当日は折本代表をはじめ有志五人が参集した。前回に引き続き栗山潜鋒「保建大記」を理解するため、谷秦山の「保建大記打聞」(テキストは杉崎仁編注『保建大記打聞編注』を使用)を読み進めた。今回は、同書五十五ページから六十五ページまで輪読した。前回までで序論が終わっているので、今回から前回までの内容をより詳しく論じる形となる。
 
内容としては、まず崇徳上皇側と後白河天皇側の小競り合いがあったことに触れて、潜鋒の議論は尊皇の在り様に移る。わが国はシナとは違いどちらも天日嗣による争いであるが、その場合臣下としてどちらをお支えすればよいのであろうか。それは三種の神器を擁する天皇方であるという。後鳥羽天皇や南北朝の際の北朝の天皇など、三種の神器を擁しない帝には問題があるという。特にそれをお諌めしなかった当時の摂関家をはじめとした群臣は罪が重いとしている。また、本日の輪読個所では谷秦山による難解ではあるが詳細な神器論が展開されている。
なお、今回も終了後懇親会を行った。次回は八月六日同じく浦安で開催の予定。
(記:事務局 小野)
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