屈平(BC343~278)

屈平

屈平

屈原、字(あざな)は平、春秋戦国時代、楚の王族出身。楚の懐王に重用されたが、上官大夫の讒言にあい失脚、苦衷のなかで『離騒』を作る。その後、秦に幽閉客死した懐王の子、頃襄王にも疎んぜられたが、楚の窮状を見かねた屈原は『懐沙の賦』を作り、汨羅に入水した。屈原の按君憂国の忠貞は、幕末の西郷隆盛や、高杉晋作にも影響を与えた。もっとも、歴史的に屈原は詩人として有名であり、その志操に対する評価は、むしろ己の才能に酔って君主の過誤を暴露した傲慢偏屈な人物と解された時代もあったが、シナでは柳宗元、我が国では林羅山などを通じて再評価がなされた。

秦の滅亡の後、高祖劉邦によって打ち立てられた前漢は王莽の帝位簒奪によって滅び、王莽は新を打ち立てた。揚雄は『反離騒』を賦し、屈平の才を惜しんだが、やがて王莽の意に媚び、新に臣従して節を枉げた。一方で、龔勝(キョウショウ)は清潔の士であり、尊爵で誘惑する王莽の圧迫に耐えかねて絶食死した。

昔殷の紂王が暴政を働いたときに、周の武王はこれを放伐したが、伯夷・叔斎はそれを深く非難し、周の粟は食まずと首陽山にこもり蕨を食べて餓死した。いかに天下の英雄といえども彼が帝位の簒奪者であるならば、絶対に臣従しない。忠誠なる臣たるの道とはそういうものである。