第四回『保建大記』を読む会開催報告

  平成二十九年五月六日、浦安で崎門研第四回保建大記の勉強会を開催した。当日は折本代表、坪内顧問をはじめ有志六人が参集した。前回に引き続き谷秦山の保建大記打聞(テキストは杉崎仁編注『保建大記打聞編注』を使用)を読み進めた。今回は、同書二十五ページから三十五ページまで輪読した。
内容としては、保元の乱で崇徳上皇、後白河天皇兄弟の争いがあり、平治の乱では藤原信頼、源義朝が漁夫の利を得んとした。平清盛は私欲をむき出しにしたことで、安徳天皇が入水し給うあさましき世になった。その後頼朝が守護地頭を各地に配置し、王威が衰えることとなってしまった。
なぜこのような世になったかと言えば、
1 兄である後白河天皇が弟の近衛天皇の後に即位し、しかも弟の養子となって即位するなど名分を損なったこと。
2 鳥羽上皇の妃待賢門院と白河法皇の密通によりできた子供が崇徳天皇であったこと。
3 それにより白河法皇の崩御後、鳥羽法皇は崇徳上皇を疎んじ、美福門院との御子である近衛天皇を即位させるなど美福門院の干渉を招いたこと。
4 後白河天皇は男色の寵童である藤原信頼を実力もないのに出世させたこと。
5 六条天皇の後に叔父である高倉天皇を即位させたこと。六条天皇は五歳、高倉天皇は八歳でどちらも元服前であったこと。
を挙げている。この時期は皇室がもっとも乱れが多かった時期ではあるが、八条親王に教育用に奉る文書という目的から、当時の皇室の問題点について厳しく指摘している。
 今回で序章が終わり、全体的な内容はうかがい知ることができた。今後より各論を読み進めていくこととなる。
 なお、今回も終了後懇親会を行った。懇親会では尊皇の在り方など突っ込んだ議論が行われた。次回は六月四日同じく浦安で開催の予定。
(記 事務局 小野)
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