再録 『先哲を仰ぐ』(平泉澄先生、錦正社)読書メモ1

まず「橋本景岳」章について、そのポイントは

①山崎闇斎にはじまる崎門実践の学が、越前藩儒の吉田東篁の学門を通じて景岳に受け継がれていることです。崎門学の特徴は「湯武の放伐を許さず易姓 革命を非として、絶対の忠義を説き、君たとへ君たらずとも臣臣たらざるべからずの理を明にし・・・しかも学門必ず実践を伴い道理常に現実を批判し、身を以 てこれを実際に験せんとする」(8p)ことにあります。景岳は闇斎の高弟、浅見絅斎の「靖献遺言」を外出時懐中に忍ばせる程愛誦し純忠節義の精神を涵養し ました。

②景岳は外科医の家系に生れたことで早くから蘭学に親しみ、年歯16歳で大阪で緒方洪庵、21歳には江戸で杉田成卿(玄白の孫)に師事する機会に恵 まれました。しかも蘭学の関心は医学に局限せず、広く政治経済から歴史地理、兵学、天文学、化学、度量衡に亘る蘭書を渉猟し学識造詣を深めました。さらに 彼の洋学は蘭学からドイツ語に進み、英語に及びました。

「思うに洋学に偏すればその弊は好奇浮薄となり、国学洋学に偏すればその弊は頑迷固陋になる。しかるに今景岳は崎門純忠の精神を鍛え来たって更に洋 学斬新の知識を採り得、不世出の天資を以て之を統合し、一見背反するがごとき東西の両長所をして各その所を得せしめた。」(13p)

③江戸遊学中には勝海舟や佐久間象三など天下の名士と交流するうちに道が開け、藤田東湖が越前藩の参政鈴木主税に推薦する形で、藩の御書院番に抜擢された。後藩学明道館の幹事に就任し、「所謂器械芸術彼に取り、仁義忠孝我に存すの大方針」で藩教育の改革に当たりました。こののち景岳は、安政四年に侍読兼御内用掛を命じられ、天下に飛躍することになります。

④景岳は開国進取によって国家の富強を計るべしとの考えであり、当時の趨勢は英露の何れかが世界(五大州)を合する連盟の盟主になりその牛耳をとる と予測していた。日本がこれらの強豪と対峙し独立を維持するには、満州朝鮮沿海州を併せアメリカ・インドに植民地を持つ必要があるが到底不可能である。そ こで露国との同盟に依って国力の充実を計り危を安に転じるべきだ、という濶大なる眼界、豪邁なる胆略を抱懐していた。

⑤彼は海外雄飛の前提として内政改革の必要を説いたが、その改革案は制度を以て末とし人物を以て本とし、区区たる藩感情にとらわれず有為適用の士を悉く抜擢登用すべしとする公明正大な抱負であった。彼は藩主慶永の使者として慶喜擁立に奔走した。

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