中臣祓師説(若林強斎講義、澤田重淵筆記)1

中臣祓師説

此の祓は、神武天皇の御宇、天児屋根命の孫天種子命、御先祖以来伝え玉える道を述べて奏聞なされたる祝詞ぞ。旧事本紀に、種子命、天津罪・国津罪を祓うを主(つかさど)るとあり。古語拾遺にも爾云えり。然れば天津罪・国津罪を祓うが天下政務の大要領なれば、律令格式みなこれより出でることを知るべし。まず中臣と云うは、なかつおみと云えり。おみ・おむ通じて臣の訓なり。臣下は朝廷ことごとく臣下なれども、なかつおみと云うときは、君からすぐうつしの大事の臣下でのうては云わぬこと。其れ中臣祓と云うことゆえ、上古では児屋根・太玉命、其の道相伝の種子命のような、道を得させられた臣が主(つかさ)どらせらるるゆえ、中臣祓と云うぞ。上つ方には甚深の伝授ありて、中々下々の口にかけることにはないぞ。中と云うより道の大事はない。君も此の中を守らせられ、臣も此の中を守ると云うが道の真味ぞ。さればこそ古は中臣・忌部と云うは道の名で姓でない。つまる処、祓と云うもこの中を守るより外はない。上から下へ施し玉う政も中を失わぬよう、下として上の法令を守るも中を失はぬようぞ。上古は其の中の道を得させられて御座なされ、児屋根命・種子命の如きが其の政法を司さどらせられて祓はせ玉うゆえに、天下一統に罪科を犯すことなく、正直清明の風俗になりて、天神地祇にごまらせ玉いて、まことに目出度い御代にてありけらし。中古までも其の遺法ありて、六月・十二月の大祓、延喜式にあり。郡国より祓の贖い物を奉ることなどあり。今世はとなえ喪うて、祓と云うと禰宜・山伏の所作となりてあり。浅間敷ことならずや。祓と云うは畢竟する処、上の祓を承って、下面々己にたちかえって、わるいこと、汙(けが)れたことを祓うより外ない。これが又面々祭政の理にそむかぬと云うもの。天地神明の御霊をうけて潔白清浄に生まれて居る人の身が、よごれ汙(けが)れて、天地の間にはさまり日月の光を戴いておると云うことは、どうも安んぜぬこと。面々省みるべきことなり。人の御霊を傷はず、天下の法令に背かず、神明の冥慮に愧じざるようにする法は、頼む処、惟此の祓にあり。ここに力を用いるを、工夫とも受用とも云うぞ。はらいの訓は、は・あと韻がひとつで、あらうも同じこと。はらうは風から云う、あらうは水から云う。神代巻に、伊弉諾尊曰く、我生まれる所の国、唯朝霧有り、之れ薫り満る哉、云々(要補完)とある。雲霧の満ち塞がりてあるをはらうは風神の功。どろいじりこう汚れを滌(そそ)ぎ流すは水神の功。造化の流行は風水の二つなれば、人に在りても、心身のけがれふさがって神明くらみ日用迷うておるを祓い清むるも亦風水の功なり。一身の神霊清明になりて、造化とともに流行し、天人一体の極致にいたるは、全く此の祓いにあり。頼母敷ことにあらずや。

 

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